トップページ > 解説:プラセンタ百科「プラセンタに“再生”を見出す」

プラセンタは「抗酸化作用」と「肝細胞増殖機能」の2つの機能により、美肌美容健康アンチエイジングに効果をもたらします。実際、厚生労働省に効能が認められ、医薬品として認可されてから半世紀近く経つプラセンタもあります。
いつまでも若々しくありたいという方はプラセンタを一度、試してみてはいかがでしょうか。
>>>最新のプラセンタランキングはこちら

プラセンタ百科「プラセンタに“再生”を見出す」

プラセンタの現代医療への活用は、後で述べるように1930年代、旧ソ連(ロシア)のV・P・フィラトフ博士(オデッサ医科大学教授。1875〜1956年)が「胎盤の埋没療法(組織療法)」を行ったことに始まります。

その研究成果が日本へもたらされたのは戦後間もない頃で、二つのルートがありました。

第一は1950年頃、この埋没療法を知った日本の医師たちが治療へ導入し始め、やがて現在のメルスモン注射薬を完成させた後、56年にはその開発に関与した医師たちが中心となってメルスモン製薬鰍設立して今日に至ります。

第二のルートは、稗田憲太郎博士(医学・農学博士。1899〜1971年)による招来です。稗田博士は戦前・戦中にかけて満州国(現・中国東北部)の満州医科大学で教職に就き、戦後も現地に残って中国の八路軍(人民解放軍)に参加し負傷兵の治療に当たりますが、その間に旧ソ連の病理学者A・D・スペランスキー博士(1884〜?)の著書『神経病理学』にヒントを得て「胎盤埋没療法」を実践し、多くの貴重な実績を残しました。

そして8年後(53年)に帰国して久留米大学病理学研究室に勤め、教授と医学部長を兼任しながら、胎盤の研究に取り組んでラエンネック注射薬を完成させ、63年に現在の鞄本生物製剤の前身である潟宴Gンネックを設立したのです。

プラセンタ製剤開発のドラマには胸躍るエピソードがたくさんありますが、私はここでとくに稗田博士が、帰国後間もない1950年代に「久留米組織再生研究所」を設立したこと、そこに“組織再生”という言葉が使われたことに注目したいと思います。

振り返ると20世紀は、医学も医療技術も飛躍的に発展しましたが、病気などによって失われた体の細胞や組織の“再生”を目的とした医学(医療)が表舞台に出るようになったのは、21世紀を目前にした世紀末を迎えてからです。

もちろんそれまでも戦火や事故などで失われた器官の機能回復を図る医療は進みましたが、再生医学は研究段階を出ることがなかったのです。

その模索段階にあった半世紀以上も前に、すでにプラセンタの機能を“組織の再生”という面から捉えた稗山博士の先見性には驚かざるを得ません。

胎盤が、たった一つの受精卵を60兆個もの細胞から成る胎児へと育て上げていく力の中に、弱った細胞や組織を回復させる“再生力”の存在を見出されたのです。

参考になさってください。

なお、プラセンタは美肌効果だけでなく、酸化から胎児を守り、成長を促すパワーから、更年期障害のほか、美白、美容、アンチエイジングに大きな効果があります。こうした体調をより健康にする成分を活用することは重要ですね。

ご興味がある方はぜひ一度、プラセンタサプリメントを試してみてはいかがでしょうか。

>>>プラセンタランキング

プラセンタ百科

トップページ
プラセンタ比較
プラセンタ百科

目次

トップページ
プラセンタ比較
プラセンタの基礎知識
ゼロから分かるプラセンタ
今さら聞けないプラセンタ
プラセンタ百科

口コミを投稿する